再びの帰省2013年12月09日 22時06分43秒

    先月、弟の見舞いに行ったばかりなのに、また、行くことに
    なってしまいました。
    容体が急変して、まさかの訃報に慌ててしまいました。
    「年金を貰ったらまた来るからね。必ず来るから待っててね」
    
といって、握手をして帰ってきたのに…
つがる号
    弘前大学をトップで卒業後大学院へ進みました。
    卒業後は農業試験場に入って、農作物の病害虫の研究をして
    いました。博士号も取って、全国のあちらこちらの大学へ講義に
    行くこともありました。 東京大学での講義の時は、私も2~3度
    聞きに行ったことがありました。
    とても優秀な弟で、家族みんなの自慢でした。誇りでした。
車窓から
    たった65年しか生きられないなんて、当然、誰も想像していま
    せんでした。先に逝った両親でさえ思いもしなかったことでしょう。
        『あゝ おとうとよ、君を泣く
        君死にたまふことなかれ・・・』
    戦争と病の違いはありますが、私は今与謝野晶子の心境です。
    誰かと話している時はいいのですが、ひとりでいるといろいろ
    思い出して、涙が止まらない…