母との別れ ― 2010年04月23日 20時53分50秒
とうとう、その知らせが来てしまって、羽田から午後の飛行機に乗りました。
郷里のしきたりを知らないまま上京してしまったので、面食らうことばかりだった。
東京ではお通夜の時に、親しくしていた人たちに顔を見てもらってから、荼毘に
臥されるのだが、郷里では、荼毘に臥されたあとで通夜が執り行われる。
そのため、顔を見ることも骨を拾うことも出来なかった。
それが残念で仕方がありません。
2ヶ月間の眠りの間、様ざまな事を思い出していたのだろう。
私たち兄弟の名前を呼ぶこともあったそうだ。
最後の説教でもしたかったのだろうか?それとも、何かしてもらいたいことでも
あったのだろうか?
バイタリティのある母が、奔走している姿を思い出すと、やっぱり、涙が出る。
東京ではお通夜の時に、親しくしていた人たちに顔を見てもらってから、荼毘に
臥されるのだが、郷里では、荼毘に臥されたあとで通夜が執り行われる。
そのため、顔を見ることも骨を拾うことも出来なかった。
それが残念で仕方がありません。
2ヶ月間の眠りの間、様ざまな事を思い出していたのだろう。
私たち兄弟の名前を呼ぶこともあったそうだ。
最後の説教でもしたかったのだろうか?それとも、何かしてもらいたいことでも
あったのだろうか?
バイタリティのある母が、奔走している姿を思い出すと、やっぱり、涙が出る。
弔問客の中にはお世話になったなつかしい顔が、たくさん、たくさん見られた。
私の同級生や、親戚もきてくれたのだが、顔を見ただけでは全くわからなかった。
名前をいわれて、はじめて思い出すような有り様でした。
同級生に"45年ぶりだね"といわれた。
45年前の面影は全く無くて、当時の顔と名前のギャップが大きかった。
私の同級生や、親戚もきてくれたのだが、顔を見ただけでは全くわからなかった。
名前をいわれて、はじめて思い出すような有り様でした。
同級生に"45年ぶりだね"といわれた。
45年前の面影は全く無くて、当時の顔と名前のギャップが大きかった。
昨日最終の飛行機に乗って、自宅に着いたのが夜中の11時だった。
きょうは疲れがど~っと出て、何もしない1日だった。
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