きょうのウチのわんこ ― 2010年04月15日 18時38分55秒
仕分け人が来た ― 2010年04月19日 20時50分46秒
お昼頃 外へ出たら、マンションの横に「内閣府」と書かれた
マイクロバスが止まっていた。
マイクロバスが止まっていた。
ここの再開発地区は事業仕分けの対象になっていると聞いていたので、
”おっ?きょう来たのか!”という感じだった。
”おっ?きょう来たのか!”という感じだった。
西側の部屋のベランダからの風景(↓)もTVに映っていた。
隣にあと2棟建つ予定なのだが、 「本当に必要なのでしょうか?」と、
上から目線で言われたら、どうなるのでしょう…?
個人的には、見晴らしも良いので今のままでもいいかなぁ…と思っている
けど、ちょっと心配 !!
上から目線で言われたら、どうなるのでしょう…?
個人的には、見晴らしも良いので今のままでもいいかなぁ…と思っている
けど、ちょっと心配 !!
母との別れ ― 2010年04月23日 20時53分50秒
とうとう、その知らせが来てしまって、羽田から午後の飛行機に乗りました。
郷里のしきたりを知らないまま上京してしまったので、面食らうことばかりだった。
東京ではお通夜の時に、親しくしていた人たちに顔を見てもらってから、荼毘に
臥されるのだが、郷里では、荼毘に臥されたあとで通夜が執り行われる。
そのため、顔を見ることも骨を拾うことも出来なかった。
それが残念で仕方がありません。
2ヶ月間の眠りの間、様ざまな事を思い出していたのだろう。
私たち兄弟の名前を呼ぶこともあったそうだ。
最後の説教でもしたかったのだろうか?それとも、何かしてもらいたいことでも
あったのだろうか?
バイタリティのある母が、奔走している姿を思い出すと、やっぱり、涙が出る。
東京ではお通夜の時に、親しくしていた人たちに顔を見てもらってから、荼毘に
臥されるのだが、郷里では、荼毘に臥されたあとで通夜が執り行われる。
そのため、顔を見ることも骨を拾うことも出来なかった。
それが残念で仕方がありません。
2ヶ月間の眠りの間、様ざまな事を思い出していたのだろう。
私たち兄弟の名前を呼ぶこともあったそうだ。
最後の説教でもしたかったのだろうか?それとも、何かしてもらいたいことでも
あったのだろうか?
バイタリティのある母が、奔走している姿を思い出すと、やっぱり、涙が出る。
弔問客の中にはお世話になったなつかしい顔が、たくさん、たくさん見られた。
私の同級生や、親戚もきてくれたのだが、顔を見ただけでは全くわからなかった。
名前をいわれて、はじめて思い出すような有り様でした。
同級生に"45年ぶりだね"といわれた。
45年前の面影は全く無くて、当時の顔と名前のギャップが大きかった。
私の同級生や、親戚もきてくれたのだが、顔を見ただけでは全くわからなかった。
名前をいわれて、はじめて思い出すような有り様でした。
同級生に"45年ぶりだね"といわれた。
45年前の面影は全く無くて、当時の顔と名前のギャップが大きかった。
昨日最終の飛行機に乗って、自宅に着いたのが夜中の11時だった。
きょうは疲れがど~っと出て、何もしない1日だった。
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